院長ブログ

さいとう整形の理念の由来

さいとう整形外科リウマチ科を10年前に立ち上げたとき、スタッフと共有する理念として37歳の僕が考えたのは

【患者さんの「楽しい!」明日のために】

でした。

今日はその理念を当院に掲げようと思ったお話をしたいと思います。

そのきっかけは、勤務医としてリウマチ患者さんを診察していた時のことです。

僕の診ていた中に、ある重症のリウマチ患者さんがいました。

関節は変形して、体が痛くて動けず、ベッドから起き上がれずにいました。

診察室には車椅子で入ってきていました。

リウマチ治療薬は僕が名古屋医療センターに勤めていた頃に、パラダイムシフトと呼ばれる大きな進歩を遂げ、その患者さんも恩恵を受けて、強い炎症も治まり、ベッドから自分で起き上がれるようになりました。

外来に来ると、先生のお陰で痛みも取れて、ベッドから起き上がれるようになりました。と言ってくれます。

僕は、

よかったですね。リウマチもとても良くなっていますよ。

とお話していましたが、

その患者さんは続けます。

でもね、先生

私はずっと寝たきりで、天井ばかり見て過ごしてきていたから、今起き上がれるようになっても何をしたらいいのかわからないの。

患者さんの体力、脚力はもちろん衰えていますが、痛みもほとんどなくなり、起き上がれるようになっています。

30代の僕は、なんとお返事するのが正解かわかりませんでしたが、

いい本だって、いい映画だってあるし、旅行だって行けばいいじゃない。楽しいことはいっぱいありますよ。

と言うのが精一杯でした。

しかし、しばらくして嬉しいことがありました。

その患者さんが

京都に行ってきました!

とおっしゃるのです。

わー!よかったですねえ。

と言うと、

車椅子だけど、娘達が新幹線で京都に連れて行ってくれた。

とのことでした。

京都駅に着いたら疲れちゃって、観光もせずに駅でご飯を食べるだけで帰って来たけど、行けたことが嬉しかった。

と言ってくれました。

僕の、旅行だって行けばいいじゃない、という何気ない言葉でしたが、行ってみよう、と後押ししたとのことでした。

今のリウマチ診療は、診断も治療もその時よりもさらに進歩しています。

早く診断してしっかり治療すれば、リウマチであることを忘れてしまうほどに普通に生活することができるようになっています。

その患者さんのことを思いながら、37歳で開業した僕は、当院の理念を

患者さんの「楽しい!」明日のために。

と決めました。

現在の理念は、院長、スタッフはじめ、全ての出逢った人達に、自分が元気を与えられる存在であって欲しい、という願いを込めて、

出逢った人の「楽しい!」明日のために

としました。

短い診察時間の中で、一人一人の患者さんに心から満足いただける診療をするのは至難の業です。

それでも、長い時間待ってでも僕に会いに来てくれた患者さんには、少しでも僕に会えてよかったなあと思ってもらえるように、

診断がついた

少し痛みが取れた

良いこと聞いた

などのお土産を持って帰って頂けるように心がけながら、また今日もさいとう整形の診察室に座ります。

さいとう整形外科リウマチ科

名古屋市名東区平和が丘1-10

TEL 052-776-3110

https://saito-seikei.jp

2022.03.20 | コメント(0)

総合診療整形外科

総合診療内科という診療科があります。

近隣では名古屋第2日赤病院や、私の古巣である名古屋医療センターにもあります。

これは、あまりに内科という科目が
循環器内科、呼吸器内科、内分泌内科、神経内科、膠原病内科、血液内科、、、
と、細分化、専門分化してきたために、
そのアンチテーゼとして必要とされ、生まれて来た科でもあります。

これまでオールラウンドに研修してきたはずの研修医ですら
3年目のレジデント医師になると、
循環器内科のレジデントは、これは心臓の問題ではありません
呼吸器内科のレジデントは、これは肺の問題ではありません。
と、「当科的な問題ではありません」と、
専門分野のパターン診断のみに当てはめて、
当てはまらないものは引き受けない。

僕も医療センターでは研修医の教育をしながら、
「お前ら、これまで2年間いろんな科をローテートして、
内科の基本は勉強してきたんじゃないのかよっ!」
と、専門家に属したとたんに
大した経験もないのにいっぱしの専門家ぶるレジデントに
嫌気がさしたもんです。

結局様々な科をたらいまわしになり割りを食うのは
しっかりと診断の付かない患者さんです。

そんな医療に疑問を持ち、
診断という点と、様々な問題を同時に抱えた患者さんを
自分の科で引き受けて問題点をきちんと整理して
それぞれの専門家との協調関係を保ちながら
全体としてその患者さんを診ていく。
そういった専門分化した医療に対するアンチテーゼが
総合診療科とも言えます。

今僕がやっている整形外科という科は
内臓以外の身体の痛みと外傷のすべてを扱う科で
考えるべき内容もとても幅広いものです。

そして、整形外科の扱う筋骨格系、運動器は
呼吸や循環、内臓機能とも密接な関連を持っています。

内臓が正常に機能するためにも
姿勢を整え、呼吸を整え、適度に運動し、循環を改善し、
禁煙し、栄養バランスを整え、しっかりと休養し
筋肉の疲労回復と、正常な骨の代謝バランスを整えることが
とても大切です。

現在僕は1999年に医者になってから19年目になります。
2年間の内科研修と1年間の救命救急研修が僕の基礎になっており
16年間骨折や身体の痛みを整形外科として診療しながら
12年間リウマチの診断、治療を行っています。
そして、開業してからの7年間はもっぱら筋膜性疼痛症候群MPSの治療にも傾倒し
これまでの整形外科診断学、リウマチ学では治せなかった
筋肉筋膜の痛みを抱えた患者さんに注射、内服、リハビリの複合治療と
鍼灸治療やリラクゼーションと言った代替医療の力も借りつつ
向かい合っています。

いわば、内科、救急、リウマチ学をベースとした
総合診療整形外科医
が、今の僕のあり方であり、ずっと上り続ける山でもあります。

まだまだ勉強することは山ほどありますが、
勉強するたびに患者さんの悩みを一つ一つ解決できるようになることも
医者という仕事が楽しいところでもあります。

幅広い視点で患者さんを受け止め、
問題点の交通整理をしながら
今ある痛みの原因を、限られた時間の中で
その人の持つ病気、生活習慣と生きてきた歴史から紐解く
シャーロックホームズのような総合診療整形外科医に
開業7年で少しでも近づけたかな、、、、。

2018.07.11 | コメント(0)

川澄敬記念シンポジウム 小児がんのこれからを考える

昨年、息子の同級生が悪性リンパ腫で亡くなりました。

今日はその、川澄敬くんの記念シンポジウムが開催され、僕も聴講してきました。

名古屋大学の小島医師、小児がん基金などのご尽力で開催された会です。

川澄くんのお父さんからは、子供の気持ちとしてご講演がありました。

川澄くんは1ヶ月ほど咳が続き、検査したところ悪性リンパ腫ということがわかりました。

化学療法など
一月200万円以上かかる治療です。
小児慢性医療、健康保険などにより、家族の負担は1万円で済みます。

川澄くんは、それを知った時
自分の治療の199万円分は他の人が払ってくれているんだね。
だとすれば、病気が治ったら、その分みんなに恩返しのできる人になる。
と言っていたそうです。

また、川澄くんは、僕が個室を使っていたら他の重症な子達が個室を使えないね。だから僕は相部屋でいいよ、とも言っていたそうです。

川澄くんは17歳でその生涯を全うしましたが、その想いを継いで、ご家族は御香典を名古屋小児がん基金にご寄付され、今日のシンポジウム開催につながっていったとのことです。

敬くんは、日本で初めて火星に行った宇宙飛行士になりたいと言っていたそうです。

僕たちが生きている今は、誰かが生きたかった未来です。

敬くんは、
僕は全然この病気のことを憎んではいないよ。僕はもうこの病気を許したよ。
と最後に言っていたそうです。

お父さんは、敬くんとスターウォーズも見に行きたかったし、連れてくる彼女も見たかった。大学でどんな勉強をするのかも見届けたかった。医療が発達して、自分のような思いをする家族がいなくなれば、敬くんの人の役に立ちたいという思いがかなったと言えるのではないかとお話しされていました。

その後、お子さんを小児がん 神経芽細胞腫で亡くしたお父さんがお話しされました。

あと数ヶ月で子供が死ぬ。
死んでしまうのではなく、今を生き抜いていると思った。
その輝きは、死んでもなくならない。
死んでしまうと思った瞬間に、そういった子にみえてしまう。
今を慈しんで過ごしてほしい。

もう頑張らなくていい。
もう逝きなさい。死になさい。
それが親にできる最後のことだった。

痛みと苦しみをとってもらうために鎮静剤を投与してもらった。

それ以上の延命処置は望まなかった。

今をどう寄り添うか、尊厳ある生を見た。
尊厳ある死は、尊厳ある生の向こうにある。

医学は科学。医療は人間愛。
科学だけでは人は癒されない。

清拭を行うタオルが冷たいからと、暖かいものに変えてくれた看護師に教えられた。

みんな同じ。
みんな生きていく中で悲しみや劣等感を抱えていると気づいた。

死なれる体験は、人生を失うことではない。
いっぱい泣いて、新しい人生を再構築すること。
そして、意味あるものにするために、一緒に物語ること。
今があるのは、あのおかげと今は思える。

今日のシンポジウムで、川澄敬くんの命のバトンが今日受け渡されています。
と、締めくくられていました。

主治医の先生からのお話では、
寛解を維持していたところで再発が見られたとき、聡明な彼にどのように事実を伝えるか悩んだ。
しかし彼はそれも思いやるように、ただ頷いた。
放射線治療、移植後には幸い持ち直し家族旅行に行けたが、その後も日に日に呼吸状態が悪くなっていった。
亡くなる前にまで、先生ありがとうございました。お陰で家族で旅行に行けました。と医療者を気遣ってくれていた。
治らない病気を治るようにしていかなくては医療の発展はない。
世界で確立されてから日本に導入するのでは、日本の医療はいつまでも遅れたままである。
まれな小児がんなどの病気では、世界最先端の治療をいち早く取り入れるような制度づくりが必要である。
と締めくくられました。

最後に小児科医小島先生からは
日本の医療費は限られていて、いづれ国民皆保険も持たなくなるかもしれない。
しかし医療はすべての子供に平等でありたい。
そのための新しい仕組みづくりが必要かもしれない。
と提言がされました。

最後に息子が友人代表としてスピーチに立ちました。
そこには、文化祭の様子を聞きたがったり、親に内緒で入院中にゲームに課金したりと、等身大の敬くんの姿とともに、友人の死を受け止める17歳の心の変化がありました。

司会の矢野きよ実さんは
締めの言葉として上に向かって、
敬くんに拍手〜
と会場の拍手を誘いました。

川澄敬くんの命をつなぐ3時間でした。

2018.01.14 | コメント(0)