普段僕たち医者は、ERという慣れた環境と豊富な資材、
そして多くのスタッフとともに患者さんを受け入れます。
しかし救急隊の方たちは、
お風呂で脳出血を起こしたまま動けなくなった老人
酔っぱらって暴れる会社員
衝突した車の運転席で挟まれた運転手
転落し血圧の下がりつつある作業員など
あらゆる環境から臨機応変に患者を救出し、
限られた時間と資材の中で病院へと命をつなぐべく
救急車を走らせます。
ERで働く研修医達にはいつも
救急隊の方たちへの尊敬の念を持ってくれるように
ERでの教育を行ってきました。
今回の福島の一連の原発事故でも、
命を懸けて国民のために闘う人たちがいました。
以下 産経新聞からの引用です。
名古屋市名東区平和が丘1-10
さいとう整形外科リウマチ科
院長(未)斉藤 究
http://saito-seikei.jp/
★★★★★★★★★★★★★★★★★
産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110320/dst11032020460092-n1.htm
2011.3.20 20:44
「現場で懸命に作業する人たちを見て、少しでも役に立ちたいと思った」。
福島第1原発事故で初めて地上からの放水活動を敢行した警視庁機動隊。
部隊を率いた警備2課管理官、大井川典次警視(56)が20日、心境を語った。
「もう一度命じられれば、行く」。任務を無事終えた指揮官は力強く語った。
「放水要員を集めろ」。
16日午前、出勤すると上司から指示された。
「原発で放水をするようだ」と聞かされた。
一刻を争う事態に、午後1時半には10~30歳も
若い初対面の隊員10人とヘリに乗り込んだ。
現場の前線基地となる免震棟に到着すると、
原発の責任者や作業員ら約10人に出迎えられた。
疲れた様子を見て、
「何とかしたい。任務を完了させよう」という思いを強くした。
明けて17日。現場の放射線量は
毎時300ミリシーベルトという高い数値を示していた。
防護衣、雨がっぱ、自衛隊から借りた被曝(ひばく)防止用の鉛入りジャケット…。
身を守るため着用したが、「高い数値に不安はあった」。
3号機近くに高圧放水車で行き、投光器で照らされた建屋を目の当たりにすると、
「爆弾を落とされたようにすら見えた」という。
午後7時ごろに放水開始。約10分後、44トンを放水したところで、
1人の隊員から放射線量計のアラームが鳴ったと伝えられ、撤収を決めた。
出発前、妻には「福島に行ってくる」と伝えただけだった。
「家族には余計な心配をかけたくない」。
決死の覚悟だったことをうかがわせた
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110321/dst11032121370087-p1.htm
2011.3.21 21:35
福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した
東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が
21日、東京都渋谷区の消防学校で行われた。
石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、
何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。
「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。
ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。
隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。
石原知事は、被曝覚悟の活動を
「まさに命がけの国運を左右する戦い。
生命を賭して頑張っていただいたおかげで、
大惨事になる可能性が軽減された」と称賛。
さらに、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、
日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた。
これをふまえて、これにすがって、この国を立て直さなければいかん」
と声を震わせた。
活動報告会に参加した隊員の一人は
「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。
上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。
だから現場に行けるんだ」と話した。