昨年、息子の同級生が悪性リンパ腫で亡くなりました。
今日はその、川澄敬くんの記念シンポジウムが開催され、僕も聴講してきました。
名古屋大学の小島医師、小児がん基金などのご尽力で開催された会です。
川澄くんのお父さんからは、子供の気持ちとしてご講演がありました。
川澄くんは1ヶ月ほど咳が続き、検査したところ悪性リンパ腫ということがわかりました。
化学療法など
一月200万円以上かかる治療です。
小児慢性医療、健康保険などにより、家族の負担は1万円で済みます。
川澄くんは、それを知った時
自分の治療の199万円分は他の人が払ってくれているんだね。
だとすれば、病気が治ったら、その分みんなに恩返しのできる人になる。
と言っていたそうです。
また、川澄くんは、僕が個室を使っていたら他の重症な子達が個室を使えないね。だから僕は相部屋でいいよ、とも言っていたそうです。
川澄くんは17歳でその生涯を全うしましたが、その想いを継いで、ご家族は御香典を名古屋小児がん基金にご寄付され、今日のシンポジウム開催につながっていったとのことです。
敬くんは、日本で初めて火星に行った宇宙飛行士になりたいと言っていたそうです。
僕たちが生きている今は、誰かが生きたかった未来です。
敬くんは、
僕は全然この病気のことを憎んではいないよ。僕はもうこの病気を許したよ。
と最後に言っていたそうです。
お父さんは、敬くんとスターウォーズも見に行きたかったし、連れてくる彼女も見たかった。大学でどんな勉強をするのかも見届けたかった。医療が発達して、自分のような思いをする家族がいなくなれば、敬くんの人の役に立ちたいという思いがかなったと言えるのではないかとお話しされていました。
その後、お子さんを小児がん 神経芽細胞腫で亡くしたお父さんがお話しされました。
あと数ヶ月で子供が死ぬ。
死んでしまうのではなく、今を生き抜いていると思った。
その輝きは、死んでもなくならない。
死んでしまうと思った瞬間に、そういった子にみえてしまう。
今を慈しんで過ごしてほしい。
もう頑張らなくていい。
もう逝きなさい。死になさい。
それが親にできる最後のことだった。
痛みと苦しみをとってもらうために鎮静剤を投与してもらった。
それ以上の延命処置は望まなかった。
今をどう寄り添うか、尊厳ある生を見た。
尊厳ある死は、尊厳ある生の向こうにある。
医学は科学。医療は人間愛。
科学だけでは人は癒されない。
清拭を行うタオルが冷たいからと、暖かいものに変えてくれた看護師に教えられた。
みんな同じ。
みんな生きていく中で悲しみや劣等感を抱えていると気づいた。
死なれる体験は、人生を失うことではない。
いっぱい泣いて、新しい人生を再構築すること。
そして、意味あるものにするために、一緒に物語ること。
今があるのは、あのおかげと今は思える。
今日のシンポジウムで、川澄敬くんの命のバトンが今日受け渡されています。
と、締めくくられていました。
主治医の先生からのお話では、
寛解を維持していたところで再発が見られたとき、聡明な彼にどのように事実を伝えるか悩んだ。
しかし彼はそれも思いやるように、ただ頷いた。
放射線治療、移植後には幸い持ち直し家族旅行に行けたが、その後も日に日に呼吸状態が悪くなっていった。
亡くなる前にまで、先生ありがとうございました。お陰で家族で旅行に行けました。と医療者を気遣ってくれていた。
治らない病気を治るようにしていかなくては医療の発展はない。
世界で確立されてから日本に導入するのでは、日本の医療はいつまでも遅れたままである。
まれな小児がんなどの病気では、世界最先端の治療をいち早く取り入れるような制度づくりが必要である。
と締めくくられました。
最後に小児科医小島先生からは
日本の医療費は限られていて、いづれ国民皆保険も持たなくなるかもしれない。
しかし医療はすべての子供に平等でありたい。
そのための新しい仕組みづくりが必要かもしれない。
と提言がされました。
最後に息子が友人代表としてスピーチに立ちました。
そこには、文化祭の様子を聞きたがったり、親に内緒で入院中にゲームに課金したりと、等身大の敬くんの姿とともに、友人の死を受け止める17歳の心の変化がありました。
司会の矢野きよ実さんは
締めの言葉として上に向かって、
敬くんに拍手〜
と会場の拍手を誘いました。
川澄敬くんの命をつなぐ3時間でした。